主任研究員 塩野敏晴 のコラム
- 主任研究員 塩野敏晴
- No.0371
期待の次世代エネルギー社会システム スマートコミュニティ
気象庁の発表によると、今年の夏(6~8月)の平均気温は、統計の残る1898年以降の114年間で4番目の暑さだったとのこと。地球温暖化の影響か、このところは、夏の猛暑は恒例になってしまった感もあるが、大震災により電力供給不安のある今年は特別な年であり、国民をあげての節電で何とか夏場のピークを乗り越えたと安堵した人も多いだろう。
とはいえ、原発再稼動の目処がたたない現状では、電力供給問題が解消されたわけではなく、今冬、さらには来夏にどうか、という不安も残る。福島第一原発事故以降、世界的にエネルギー対策の見直しが求められる中で、次世代型エネルギーとして太陽光発電などの自然エネルギーがクローズアップされている。
太陽光発電には、発電量が天候に左右されるという課題があり、燃料電池や蓄電池との併用が必要となる。そこで威力を発揮するのがスマートグリッド技術である。スマートグリッドとは、IT技術により家庭や特定のエリア内の電力使用を管理し需給の最適化を図るシステムであり、家単位ならスマートハウス、それよりもう少し広いエリアであれば、スマートコミュニティとして、すでに試験的な導入が進んでいる。
たとえば、一般家庭で太陽光発電パネルを設置したとすると、主たる発電時間である日中は、家庭内では電力をさほど使わない時間帯であるが、これを特定のエリア内で、施設やオフィス、さらには蓄電池や燃料電池、風力発電など発電設備、電力系統と結び、相互に融通し電力需給が最適になるよう制御することで、エネルギーの効率利用を目指すものである。
さらに、電力と熱を同時に供給するコージェネレーションシステムや電気自動車なども取り込み、電源の分散化、電力の自立化を進め、省エネと低炭素化を同時に実現した次世代地域社会の構築も視野に入れる。
原発問題もさることながら、現状、わが国の電力供給の大部分を担う火力発電には、燃料価格の高騰や資源の枯渇による将来的な供給不安といった問題もあり、さらには地球温暖化ガス排出量の削減という課題にも対応していかなければならず、今後、太陽光発電を中心とする自然エネルギーへの期待は必然的に高まっていくであろう。
低炭素化社会に向けて、スマートコミュニティなど、次世代型のエネルギー社会システムは、現在、最も注目を集める技術分野であるといえる。
投稿者:主任研究員 塩野敏晴|投稿日:2011年09月15日|コメントを書き込む
- 主任研究員 塩野敏晴
- No.0350
生物多様性の保全に向けて「COP10」開幕
10月11日より、「COP10」(生物多様性条約第10回締約国会議)が名古屋で開催されている。生物多様性の保全に向けて、遺伝子組み換えに関する国際ルールなどが話し合われる。生物多様性とは、自然環境は様々な生物のバランスにより環境が保たれており、一部のバランスが崩れただけで自然環境全体に大きなダメージをもたらす、ということである。
生態系の破壊による環境被害の例は数多く、ブラックバスなど外来生物による在来種の食害問題が代表的だが、この他にも、全国各地に広がる、増えすぎたシカによる被害も、天敵であるオオカミを絶滅させたことが要因の一つであるとも言われている。また、沖縄や奄美大島では、ハブ駆除の切り札として導入されたマングースが予想に反してハブは食わず、ヤンバルクイナなど希少動物を襲うことが明らかになり、現在はマングース自身が駆除の対象になっている。県内では、全国有数のトンボの生息地である磐田市桶ヶ谷沼で、アメリカザリガニの増加による被害でトンボの数が減少している例がある。これらの事態は、いずれも人間の都合で生態系に手が加えられた結果引き起こされたものだが、当初は環境全体に与える2次的な悪影響までは想定されていなかったに違いない。
ところで、環境問題に関して、「地球にやさしい」というフレーズが合言葉のように使われているが、私は好きではない。無論、環境保全に反対ということではなく、人間が地球を守ってあげると言わんばかりのこの標語が、逆に地球環境に対する人間の驕りを現しているようにも思えるからである。
「地球にやさしい」とは、地球のためではなく人間自身が「生きていくために必要な環境にやさしい」ということであり、大型動物から虫や微生物に至るまで、環境の構成員全体に配慮しながら、人間だけが快適性を追求するのではなく、我慢するところは我慢しつつ、知恵を出して人間の存続に必要な生態系を保全していく、ということであろう。
地球が創り出してきた何億年にもわたる生物多様性のバランスに対して、人間の知る生物や環境の知識はたかが知れている。「COP10」では、かつて当地で開催された「愛・地球博」のテーマでもあった「自然の叡智」を世界各地から持ち寄って、人間が地球上で永続的に生きていける環境を維持する方策を編み出すきっかけになることを願う。
投稿者:主任研究員 塩野敏晴|投稿日:2010年10月14日|コメントを書き込む
- 主任研究員 塩野敏晴
- No.0331
地産地消は「大地と一体となった生き方」
「地産地消」という言葉を聞くようになって久しい。現在、全国各地で「地産地消フェア」などが行われているが、メディアに取り上げられるようなものの多くは広域拠点施設での出展やネット販売、通販の活用など、幅広い消費者を対象としており、「地産」ではあるが「地消」にはこだわらない、経済性重視の地場産品振興活動である。しかし、地産地消とは、本来は、「身体と土は一体」、すなわち、その土地で育ったものを摂取することがその土地の生活環境に適合しており、身体のためによいとする考え方に基づく。どちらかといえば、健康面に着目した考え方であり、効率などの面で経済性とは相反することも多い。
そもそも、近代化以前の人間の食生活は、否応なく地産地消であったはずだ。それが高速交通網や冷蔵保存技術の進展を背景に、消費者のライフスタイルの変化や食料供給の安定化という国家的な戦略もあり、農作物は適地適作・消費地市場への一括出荷といういわば「他産他消」型の流通形態が定着した。さらには安価な輸入作物の流入等により、食品流通は、需要供給両面ともグローバル化し、その結果、「地産であること」が稀少価値を持つほど、食料生産地と消費地が離れた関係になってしまったということもできる。
一方、供給や価格の安定性を追求した結果、国内では食料自給率が低下し、農業は衰退化、耕作放棄地が増えて地域環境も悪化、という事態を招いてしまっている。こうした状況を考えたときに、私はかつて読んだ歴史小説の中での次のような一説を思い出す。「大地は生命の根源であり、人間も草木や生き物と同じく大地に根をおろして生きるのが本当の姿だ。大地から離れ、人の働きで得たものを使うばかりでは、やがては生きる力を失う」。平安時代を支配し、過度な搾取で地方民を貧窮に追い込んでいた貴族階級を批判する登場人物の言葉だが、作者自身の主張でもあろう。この言葉通り、まもなく中央の貴族階級は権力を失い、当時は地方で大地に根を張って生きていた武士階級に追い落とされることとなった。
技術的な進歩とともに効率性、経済性を追求した結果、大地とのつながりが希薄となった感のある現代社会にも通じる面はないだろうか。今さら、近代化以前の食料供給体制に戻すことは不可能であろうが、健康志向や食の安全、さらには環境問題や食料自給率に対する意識が高まる中で、農業を中核としたアグリビジネスが新たなビジネスチャンスとして注目を集めている。消費者側も、特に地方圏で生活するわれわれは、本来の意味での地産地消、すなわち「大地と一体となった生き方」を考える良い機会といえるのではないだろうか。
投稿者:主任研究員 塩野敏晴|投稿日:2010年02月01日|コメントを書き込む
- 主任研究員 塩野敏晴
- No.0310
「行列店」の行列はなぜ途絶えないのか
先日、東京で、常に行列のできる人気の飲食店を訪れた。その店は、鶏料理の老舗の料亭であるが、昼食時に限り親子丼を提供しており、これが連日大行列の人気となっている。私がこの店の存在を知ったのは10年以上も前のことであるが、大行列を敬遠して、足を運ぶ機会はなかった。そろそろ人気も一段落した頃ではと思い、所用で上京した際に立ち寄ったところ、相変わらずの大行列であり、一瞬迷ったが、これほどの長期にわたり大人気を持続する親子丼とはいかなる味か、との興味から1時間並んで味わってきたのである。感想としては、確かに卵はトロリとして甘く、評判どおり実に美味しかったが、1時間並んででもまた来たいか、と聞かれれば、答えは「?」である。昼食時の行列は肉体的・精神的にも結構辛いものがあり、私の価値観では、一度試してみる価値はあるがリピーターにはなり難い、というのが実感である。
それでは、なぜこれほどの行列が長年にわたり続くのか、と考えた時に思い至ったのが、大行列は大半が私のような“一見客”だったのではないか、ということである。実は、並んでいる間に、ラジオ局が取材をしていたのだが、私の前後の数人はいずれも神奈川、埼玉など隣県からの客で「初めて来た」とのことだった。また、後から来た人たちの様子をみると、行列の長さに一様に驚き戸惑い、初めて来たような反応を示す人が多かった。一方で、常に大行列という事実がブランド価値となり、「それほどの評判なら試しに一度」という新規客の集客につながっている面もあろう。
しかし、一見客を主な対象として行列ができるほどの商売が成り立つのであろうか、大まかに試算してみた。まず、昼食時の1日当たりの客数を、店内の席数、行列の人数、営業時間等からおよそ200人と見積もった。年中無休とのことなので、1年間ではおよそ7万人となる。マーケットの規模は、仮に首都圏(東京、神奈川、埼玉、千葉)を対象エリアとすると、人口は約3,500万人である。このうち、「おいしい親子丼なら、並んででも1度は食べてみたい」と考える人がどの程度いるか。親子丼は日本人にとっては人気の定番メニューであり、ニーズは結構高いようにも思われるが、控えめに見積もって1割とすると、潜在的な市場規模は3,500万人×10%=350万人となる。年間7万人に提供していくと、350万人÷7万人=50年間という結果になる。かなり大ざっぱな条件による試算ではあるが、世代交代ということを考慮すれば、一見客だけでも行列が永久的に持続可能となる。
実際にはこの店の客層が一見客中心であるかは不明であり、常連客も多いかもしれない。いずれにしても常に行列を維持するには、確かな品質、ブランド力、口コミ、立地条件などさまざまな条件が必要となろう。また、首都圏という人口規模があるからこそ、成り立つ計算でもある。しかし、仮に製品のネット販売であれば、対象エリアは全国、さらには世界にまで広げることも可能である。「一人1度きり」の需要でも、市場としては十分に成立する可能性のあることを実感させられた次第である。
投稿者:主任研究員 塩野敏晴|投稿日:2009年07月29日|コメントを書き込む
- 主任研究員 塩野敏晴
- No.0295
うなぎの味わい方に新旗手登場~「うなぎ静岡焼」
食材の安全性に注目が集まる中で、生産技術は日進月歩を続けており、国内でもクローン牛、つまり優良な素質を持つ肉用牛をコピーして作ってしまうという技術も誕生している。牛や豚などは、食用としての品種改良により、生物としての態様にかなり人手が加えられてきているが、とうとう生命誕生の根源部分にまで人間の技術が及んだことになる。安全性の問題など批判も多い技術であるが、実用化されれば、おいしい牛肉が効率よく安定供給されることにもなろう。
一方で、生命の神秘というべきか、これほど科学万能の世の中になっても、いまだに実現できない生産技術、解明できない謎などもある。マツタケの人工栽培などはその代表格であるが、うなぎについても、生産技術は確立されていても、生産の根本的な部分は解明されていない。川や湖で生息するうなぎは、親魚が産卵期になると海に降り、やがて数センチに成長した稚魚(シラスウナギ)がまた川に戻ってくるが、どこで産卵しているかについては、長年大きな謎とされてきた。最近になって、日本のうなぎの場合、グアム島付近のマリアナ諸島海域らしい、ということまでは分かったようだが、自然界でうなぎの卵をまだ誰も見たことがない、というのが実情である。最近はシラスウナギの減少で国内の養鰻業も大きな影響を受けているようだが、産卵などの生態が解明され、ニジマスのように卵から養殖できる技術が確立されれば、より安定的な供給が可能になるだろう。
ところで、うなぎは蒲焼にして食べるのが主流であるが、焼き方には、大きく分けて、背開きにして蒸してから焼く関東風と、腹開きで蒸さずに焼く関西風がある。調理方法にも名古屋の「ひつまぶし」、大阪の「まむし」など、地方により特徴のある食べ方がある。
静岡県では最近、「うなぎ静岡焼」が登場した。これは静岡県産のうなぎを「静岡茶」ペーストと「焼津のかつおだし」を加えたタレで焼き上げたもので、さっぱりとした風味で、そうめんやうどんなどとの相性もよく、うなぎの味わい方に広がりを持たせている。静岡の新しい名物として、一度味わってみることをお薦めしたい。開発したのは静岡市にある雅水産(株)であり、製品開発にいたる経緯などは、当所SERIまんすりー2月号「革新企業リポート」のコーナーで紹介する予定である。
投稿者:主任研究員 塩野敏晴|投稿日:2009年01月16日|コメントを書き込む
- 主任研究員 塩野敏晴
- No.0276
「脱石油社会」を目指して
原油価格の動向が注目を集めている。当所では、SERIまんすりー8・9月号の特集「輸入資源価格高騰の影響」の中で、原油等輸入資源価格の高騰が県内経済に与える影響について調査したが、その結果、最近1年間の原油、鉄鉱石、穀物等の輸入資源価格の高騰により、県内全産業平均で0.9%、消費者物価指数は1.0%の価格上昇圧力となっていた。なお、これらは、コスト上昇分をそのまま価格に上乗せした場合の試算値であるが、実際には、そのまま価格転嫁できるわけではなく、転嫁できない分は企業の収益を圧迫することになる。アンケートによる価格転嫁率から算出すると、それは静岡県のGDPを△1.4%押し下げる圧力に相当する。輸入資源価格の高騰は、このように産業、経済に大きな影響をもたらしており、中でも原油高騰による影響が最も大きい。
原油に関しては、価格の高騰以外にも懸念材料がある。一つには将来的な資源の枯渇である。30年以上前には、「石油はあと30年でなくなる」と言われていた。あれから30年以上を経て、原油の埋蔵量は依然として30年分以上あるといわれている。技術の向上により、採掘可能な油田が増加していることによるものだが、それでも学説のように、原油が生物由来の化石燃料であるとすれば、将来いずれは先細りになることが予想される。
もう一つの懸念材料は、地球温暖化である。地球温暖化にはさまざまな複合的な要因が議論されているが、産業革命以降、化石燃料を大量に使用してきたことに伴う温室効果ガスによる影響が最も大きいともいわれる。したがって、原油の資源量が潤沢に確保されたとしても、今後同じように原油を使用し続ければ、温暖化による影響は、海面の上昇や砂漠化、生態系の破壊など、ますます顕在化してくることが予想される。
現代の社会は、過去何度かの石油危機を乗り越えつつも、依然としてエネルギーの多くを石油に頼っている状況には変わりはない。しかし、昨今の、ガソリン価格の最高値更新、漁船の一斉休漁による鮮魚類の値上げや品不足など、消費者の生活を脅かすニュースに加え、地球環境問題、資源エネルギー問題などあらゆる角度からみても、将来的に原油は「できるだけ使わない」に越したことはない。今回の原油価格高騰は、「脱石油社会」の実現に向けて、かつてのように「あと30年でなくなる」くらいの危機感を持ち、新エネルギーや環境問題に本腰を入れて取り組むいい機会といえるかもしれない。
投稿者:主任研究員 塩野敏晴|投稿日:2008年07月29日|コメントを書き込む
- 主任研究員 塩野敏晴
- No.0258
地方分権はスムーズな権限移譲から
ここ数年で全国的に「平成の大合併」が進展、静岡県では74あった市町村数は42となり、2つの政令指定都市が誕生した。このように、市町村合併を推進する背景には、少子高齢化の進展がある。
すでにわが国は、人口減少社会を迎えており、今後、経済規模は縮小する一方、高齢化の進展により、社会保障関連費が増大する懸念もある。そこで、行財政の効率化を図るべく、市町村合併により基礎自治体の財政基盤を強化すると同時に、地方でできることは地方で行うという視点から、地方分権が推進され、県から市町への権限移譲が進展している。その象徴的存在といえるのが政令指定都市であり、県内で誕生した2市‐静岡市、浜松市とも、政令市への移行に際して、国道管理、児童相談所設置など、静岡県より、大幅な行政事務の移譲を受けている。
ところが、先日、静岡県の旅券申請・交付業務を各市町に移譲するという方針に対し、政令市である静岡・浜松両市が受け入れを拒否するという事態が起きた。県から市町への権限移譲という行政改革の流れに逆行する対応だが、「移譲交付金では必要経費を賄えない」「交付日数が現行より余分にかかる」という両市の主張にも一理あるように思える。
両市への移譲が不調に終わった背景としては、申請手続きを市に移譲しても偽造防止等の必要上、旅券の作成業務は県で行わざるを得ず、全面的な権限移譲ではないところに要因があるようだ。地方分権に向けての行政改革は、表面上のみ権限移譲されても「二重行政の解消」や「手続きの簡素化」といった行政効率化の内容が伴っていなければ地方にとって必ずしもメリットばかりではなく、権限移譲はスムーズに進展しないという事例であるといえる。
今後も市町村合併や道州制導入も検討されるなど、地方分権が推進されていく中で、国から都道府県、都道府県から市町村へと行政事務を権限移譲する際に、このような事態が起きることも想定される。
地方分権の主要な目的の一つが行政事務の効率化にあることからも、権限移譲の際には、移譲する側、受ける側双方の協議により、最も効率的な手段を見つけ出していくことが必要であると思う。
投稿者:主任研究員 塩野敏晴|投稿日:2008年02月14日|
- 主任研究員 塩野敏晴
- No.0239
しのびよる地球温暖化の影
厳しい暑さが続いている。一般的に、景気動向の面では、「夏は暑い方がプラスに作用する」とされている。当所では、SERIまんすりー8・9月号の特集で、「異常気象と静岡県経済」と題し、夏と冬の気温の変動が、県内産業、経済にもたらす影響について調査したが、総じて見ると「夏は暑く、冬は寒い方が好ましい」という結果になった。具体的には、夏は暑い方が衣料品や飲料、エアコンなどの季節商品が動き、さらに運輸や製紙など、これに関連した産業の需要が増えるという構図である。ただし、静岡県では、気象の変動によりもたらされる影響は思ったほど大きくはなく、夏冬の気象に対する企業の意向も、「平年並みがよい」あるいは「気象はとくに関係ない」という回答が7割を占めていた。
ところで、過去数十年分の気象データを検証すると、地球温暖化の傾向を反映して、平均気温は長期的にじわりじわりと上昇傾向にあるようで、「暑い夏」は、異常というより恒常的な現象になりつつある。先日も、岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市で、70年以上も破られなかった国内最高気温の記録を更新してしまった。東京では、都市化によるいわゆる「ヒートアイランド現象」が温暖化に拍車をかけ、この100年間で平均気温が3℃も上昇したという。
平均気温の上昇による産業面での影響は、当面は大きくはないようだが、われわれの生活環境には少しずつ影響を及ぼし始めているはずだ。たとえば、梅雨入り梅雨明け時期の不明確さ、夜通し鳴くセミ、「霜柱をみかけなくなった」など、必ずしも温暖化による影響とは限らないが、昔の記憶と比較して、生活環境の微妙な変化を感じている人も多いのではないだろうか。この程度の変化では実害をほとんど伴わないため、一般消費者のレベルで危機感を持っている人は少ないだろう。しかし、世界レベルでは、地球温暖化による影響として、砂漠化や洪水被害の増大、海面の上昇による国土の消失の危機なども懸念されている。国内でも、このところの猛暑による熱中症患者の増加が報じられているが、この他にも温暖化による長期的な影響として、高潮被害や砂浜の消失、伝染病の流行などのリスクが指摘されている。
地球温暖化防止、すなわち温室効果ガスの削減策として、消費者個人でできることは限りがあるが、一人ひとりの積み重ねが大きな成果にもつながる。「ゆでがえる」にならないように、今のうちから、日常生活の中で少しでも節約するという意識を身につけておきたい。
投稿者:主任研究員 塩野敏晴|投稿日:2007年08月27日|
- 主任研究員 塩野敏晴
- No.0228
政令指定都市・浜松市への期待
平成19年4月1日、浜松市が、新潟市とともに政令指定都市に移行した。これで、政令指定都市は全国で17都市となり、静岡県では、静岡市に次いで2つ目の政令指定都市の誕生である。当所では、SERIまんすりー4月号の特集で、「県内2つ目の政令指定都市浜松市の方向性」と題して取り上げたが、その中で、他都市の事例として北九州市の都市政策を紹介した。事例の対象として北九州市を選んだのは、「合併により成立した政令指定都市であること」「製造業を基盤として発展してきたこと」「県庁所在都市ではなく、なおかつ県庁都市とは、それぞれが独立した都市圏を形成している」など、浜松市と共通点が多いことによる。
北九州市は、昭和38年に、小倉、門司、若松、八幡、戸畑の5市対等合併により誕生、程なく政令指定都市に移行し、「多核都市」として均衡ある発展を目指した。その一つの成果が交通網の整備であり、北九州市では、合併、政令指定都市移行後に道路整備が格段に進み、地価高騰や交通渋滞等を防ぐ上でプラスになったという。
一方で、旧5市をそのまま5区とした結果、旧市意識が温存されて一体感に欠け、また、地域バランスに配慮した都市づくりの結果、百万都市の「顔」としての都心形成がなされなかった、という弊害もあったようだ。
浜松市の場合は、北九州の「多核」よりなお粒の多い「クラスター型(=ぶどうの房)」都市を目指している。さらに、北九州市にはない、広大な中山間過疎地も抱える。均衡ある発展を目指す上では、難しい舵取りを強いられることにもなろう。
しかし、広大な市域と、その中にある森林や水源などの環境資源は、政令指定都市の中では出色である。製造業や農林業など、環境資源を活かす産業の集積もあり、産業構造は、“全国の縮図”といえるほどバランスが取れている。そこで、浜松市には、「環境と共生するクラスター型政令指定都市」として、既存の政令指定都市には類例のない新しい都市像を目指して欲しい。
過疎地で先行する「少子・高齢化」は、わが国全体の将来の課題でもあり、環境問題もまた然りである。浜松市の目指す方向性が、わが国全体の目指すべき方向性の道標になるといっても過言ではないように思う。
投稿者:主任研究員 塩野敏晴|投稿日:2007年04月26日|
- 主任研究員 塩野敏晴
- No.0209
既得権より事実?それでも冥王星は回る
先月、国際天文学連合の総会において、すったもんだの議論の末、冥王星が惑星から除外されることが決まり、話題になっている。一連の「冥王星騒動」には、さまざまな人々の思惑が交錯しているようだ。
冥王星は、1930年に米国の天文学者によって発見されたが、その後の観測精度の向上により実体が明らかになるにつれて、「惑星とは呼べないのではないか」という声は数年前から高まっていたという。米国では、米国人が発見した唯一の惑星である冥王星への愛着も強く、惑星から除外することに異論を唱える人も多い。
また、冥王星は、太陽系の「さいはて」を象徴する存在として、SFやアニメなどにも頻繁に登場してきたほか、星占いでも親しまれていたため根強いファンもいる。76年間も太陽系の外枠を支えてきたという実績に免じて、特別扱いをしてもよいのではないかと、天文学者以外からも冥王星の「既得権」を主張する声が上がっている。
一方で、自分の「庭」で騒動が起こっているはずの天文学者の反応は、米国以外ではどちらかといえば冷めている。報道されたコメントを見ても、天文学者にとって冥王星の「格下げ」は既定路線だったようで、教科書の修正や博物館の展示の変更といった現実的な問題はあるにしても、これまでの惑星としての功績を惜しむような感傷的なコメントは見られず、ようやく学術的な定義が実態に合ったものになってすっきりした、といった安堵感すら感じられる。
それは、かつて、教会の圧力により地動説を捨てることを強いられたガリレオが「それでも地球は動く」と言ったとされる逸話に、どこか通ずるところがあるようにも思う。 科学者にとって大事なのは、「人間社会の思惑による既得権よりも宇宙空間における事実」なのであろう。冥王星が惑星であろうがなかろうが、太陽系の構成員として太陽の周りを回るという事実に変わりはないのである。
環境や状況が変化した場合の既得権を巡る争議は、人間社会においても、たとえば市町村合併の際の新体制など、さまざまな場面で見られる。利害や生活のからむ人間社会の場合は、時間をかけた調整が必要な場合も多いが、できるだけ早く実態に合った体制を構築するためには、既得権や感傷にとらわれることなく、専ら実証的な事実に基づいて定義づけを行おうとする科学者の姿勢には、見習うべき点も多いように思う。
投稿者:主任研究員 塩野敏晴|投稿日:2006年09月15日|
- 主任研究員 塩野敏晴
- No.0203
環境保全と観光振興のバランス
日本最北の島、礼文島は「花の浮島」と呼ばれ、夏には多くの観光客で賑わう。先月、休暇を利用してこの島を訪れた時のこと、高山植物の咲く丘の遊歩道で新聞記者に出会った。旅行者を引き付ける礼文島の魅力とは何か、という視点で取材をしているのだという。その時の質問の最後に「礼文島の魅力を一言で言い表せば、やはり『花の浮島』ということですか」と聞かれ、思わず返答に詰まってしまった。「花の浮島」、自分にとってはまさにその通りなのだが、「花の浮島」という観光仕様のキャッチコピーにはいささか抵抗感を持っている。なぜなら、「花の浮島」であることを実感するためには、遊歩道や林道などをある程度の時間をかけて歩く必要があるが、島を訪れるツアー客の多くは、観光バスで島内をあわただしく巡り、道路沿いに咲く花を車窓から眺めただけで帰っていく。「花の浮島」というブランドだけが一人歩きし、観光の実態とはかけ離れている感があるからである。もっとも来島者がすべて遊歩道を歩いたとしたら、環境負荷も大きく、美しいお花畑の風景も一変してしまうかも知れない。自然環境を売り物とする観光地にとっては、観光振興と環境保全との両立は難しい課題である。
同様のことが、昨年、ユネスコの世界自然遺産に登録された知床にもいえる。「手付かずの大自然」が魅力の知床であるが、世界遺産というブランドにより、大勢の観光客が押し寄せるようになれば、当然、環境破壊につながる。それを防ぐためには、入山規制、マイカー規制など、観光客に対する制約も大きくなるだろう。実際に野山を歩き、大自然に直接触れたいというアウトドア派にとってはありがたくない話である。規制の強化により「遠巻きに眺めるだけ」の大自然が観光客を引き付ける魅力を維持できるか、という課題もでてこよう。
世界自然遺産は現在、知床の他、白神山地と屋久島が登録されており、この他国内の候補地として小笠原諸島と琉球が選定されている。静岡県でも富士山の世界文化遺産登録を目指している。いずれも、世界遺産として登録されれば「ブランド効果」による観光客の増加が予想され、地元の期待も大きいが、観光客の増加は環境負荷の増加でもある。対応を誤れば、環境悪化によりその価値が損なわれてしまうことにもなりかねないだけに「諸刃の剣」ともいえる。ユネスコの理念通りに「遺産」として次世代に受け継ぐべく環境保護を最優先するのか、地域活性化の起爆剤として観光振興との両立を目指すのか、地域としてのスタンスを再確認した上で、慎重に対応していく必要があるように思う。
投稿者:主任研究員 塩野敏晴|投稿日:2006年08月18日|
- 主任研究員 塩野敏晴
- No.0188
中山間地や農山漁村の魅力とは何か
とうとう人口減少社会を迎えることになった。とくに、人口減少が先行している中山間地や農山漁村にとっては、今後、担い手の減少により、伝統文化や生活基盤の存続すら懸念される時代を迎えつつある。こうした事態に対しては、交流人口の増加、すなわち都市部から観光客を呼び込み、活性化を図る、というのが一つの手段である。そのためには、各地域固有の自然環境や景観、特産品や伝統文化などの地域資源を効果的に活用し、集客に結び付けていく必要がある。また、何が集客力のある地域資源になりうるか、との見極めも大事であろう。
かつて、沖縄の離島を旅行した際にこんなことがあった。ホテルにチェックイン後、南国の雰囲気を味わおうと、レンタサイクルを利用して付近を散策した時のこと、ホテルの従業員に“お奨めのコース”を聞いてみたところ、彼が地図で示したのは、私が予想したのとは反対の、市街地の方向であった。土産物屋や観光施設などが多いという。市街地とは反対方向について聞いてみると、「こちらの方は住宅地で、残念ながら何もありません」と彼は答えた。とりあえず、彼の助言どおりに市街地方向に自転車を走らせて見たが、離島とはいえ国内であり、ありふれた市街地の光景が続くだけであった。そこで、早々に引き返して、「何もない」という方向に向ってみた。確かに、売店も展望台も、観光客を迎えるためのものは何もなかった。そこにあるのは現地では普通の住宅-シーサーを載せた赤瓦の屋根、サンゴを積んだ石垣に囲まれた庭にはブーゲンビレアが咲き誇り、色鮮やかな蝶が舞っている-のみであった。住宅地を抜けて海岸に出てみると、確かに、東屋もベンチも何もない、白砂の美しいビーチとも言い難い、岩だらけの地味な海岸である。しかし、人気のないその海岸は、水は澄み、岩場の上からのぞいてみると、サンゴのかけらやネオンのように美しい青い熱帯魚の群れが見えた。つまりは、地元の人が「何もない」と思っていた場所に、まさに私(観光客)の期待していたものがあったわけだ。
現在は、情報が錯綜し、価値観も多様化している時代である。都市部には都市部の、田舎には田舎の魅力がある。中山間地や農山漁村の人にとって「当たり前」の光景が、都市部の人の目には、現代では希少価値のある「日本の原風景」と映ることもある。「何もない」ことが逆に「癒し」的な効果がある、ということもあるかもしれない。地域の魅力を効果的にアピールするためには、都市部の居住者の価値観、ニーズなども把握した上で、今一度、外部の視点で地域内を見直してみる必要があるのではないだろうか。
投稿者:主任研究員 塩野敏晴|投稿日:2006年03月31日|
- 主任研究員 塩野敏晴
- No.0178
「平成の大合併」と中山間地の行く末
「平成の大合併」により、全国各地で巨大な面積を有する市が誕生している。平成15年4月に旧静岡・清水両市の合併により誕生した新「静岡市」は、面積1,374平方キロメートルと、当時は、福島県いわき市を抜いて全国一の広さを持つ市であった。しかし、静岡市の日本一の座は2年と続かず、今年2月に合併した岐阜県高山市は、2,179平方キロメートルと東京都にほぼ匹敵する面積に至った。さらに、今年7月に誕生した新「浜松市」も1,511平方キロメートルと静岡市を抜いて、高山市に次ぐ全国第2の面積である。こうした合併により誕生した巨大市に共通する課題は、広大化した市域全体に、いかに効率的な行政運営を行うか、という点であろう。とりわけ、過疎地、中山間地対策の問題が重くのしかかってくると思われる。
先日、市町村合併をテーマとするシンポジウムで、合併により広大な中山間地を抱えることになった浜松市に絡めて、あるパネリストが次のような意味の発言をした。「なぜ山間地振興を図る必要があるのか。過疎に悩む山間町村が政令指定都市になるのだから、それでよいではないか」と。北遠地域に住む人が聞いたら怒りそうな発言だが、ある意味では的を射ている。少なくとも合併による行財政改革を推進する政府の思惑はここにある。「今の財政状況が続けば過疎町村まではとても手が回らないから、後は市で面倒を見てくれ」ということである。その背景には、少子高齢化に伴う居住人口の減少により、従来通りの行政運営が非常に非効率になりつつある、という現実がある。
最近、県内の路線バスで、多数の路線で運行中断が恒常的に行われていた、という不正が発覚した。無論、補助金まで投入して維持している公共交通機関の運行を、現場の判断で勝手に打ち切ってしまうのは、言語道断である。ただし、裏を返せば、それほど多くの路線で、乗客が誰もいないような非効率な運行を継続している、というのが実態であろう。
過疎化によるこうした事態は、今後、さらに加速していくことが予想されるだけに、行政側の改革だけでなく、住民側にも地域全体の生活水準の維持のために何をなすべきかとの意識改革が求められているのではなかろうか。
中山間地にとって、少子化による居住人口の減少は避けられない現実ではあろうが、現代はIT化の進展で、情報に関しては全国どこでも同じものが手に入る時代である。都市部に居住する、現役をリタイヤした人、あるいは通勤の必要のない、いわゆる在宅ワーカーと呼ばれる人の中には、居住環境は中山間地の豊かな自然の中がよい(公共サービス等の不便さは納得の上、多少の自腹を切ってでも暮らしたい)、と考える人もいるかもしれない。そうした人たちにも門戸を開いた上で、住民参加型の地方自治が実現できないものかと思う。
投稿者:主任研究員 塩野敏晴|投稿日:2005年11月24日|
- 主任研究員 塩野敏晴
- No.0162
クールビズの効果とは
環境省の提唱する夏の軽装「クールビズ」が導入されて2カ月が経過した。当研究所でも、事務所内では原則として「ノーネクタイ、ノー上着」を実施している。ノーネクタイには、ビジネス慣行などの観点から賛否両論があり、また、実際にネクタイをはずし、シャツのボタンをひとつ開けると、襟元がだらしなく開いたり、肌着がのぞいたりして、涼しげな軽装というよりは、健康診断の待合室のようで、なんとなく体裁の悪い思いをした記憶がある。しかし、慣れてみると思った以上に快適だったというのが実感である。
クールビズの導入は、紳士服などの市場活性化効果ももたらしたようだ。ただし、クールビズの本来の目的は、市場の活性化ではなく、冷房の設定温度を上げること、すなわち、省エネによるCO2の削減にある。
京都議定書発効により、わが国は2008年から2012年までの約束期間に、温室効果ガスの排出量を基準年である1990年比で△6%削減しなければならない。 しかし、現時点(平成14年度)での温室効果ガス排出量は、全国で同年比+7.6%と、基準年を上回ってしまっているのが現状である。2012年の目標達成に向けては、水面下からのスタートとなり、長い道のりとなるが、地球環境の将来を考えた場合には、避けて通れない道であるといえる。
環境省の試算では、クールビズにより、すべての事業所等において、夏の冷房の設定温度を28℃に上げた場合の、ひと夏のCO2削減量は約160から290万トンであるという。二酸化炭素換算で年間約13億トン(平成14年度)であるとされるわが国の温室効果ガス総排出量に比べると、微々たるものかも知れないが、CO2の削減は、産業界の取り組みだけでなく、個人一人ひとりが無駄なエネルギー消費を省く、節約できるものは節約する、という意識を持つことが不可欠であると思われる。省エネルギー型ライフスタイルの実現に向けて、「省エネのためなら、“慣行”や“体裁”は気にしないようにしましょう」といった意識が浸透し始めるのであれば、クールビズ導入の効果といえるのではなかろうか。
投稿者:主任研究員 塩野敏晴|投稿日:2005年08月05日|
- 主任研究員 塩野敏晴
- No.0148
「愛・地球博」体験記
3月25日、「愛知万博(愛・地球博)」が開幕した。国内開催の万博としては、1990年大阪の「国際花と緑の博覧会」以来15年ぶり、大規模なものとしては1970年の大阪万博以来35年ぶりとなる。先日(3月29日、30日の2日間)、休暇を利用してこの愛・地球博を見てきたので、その印象を紹介したい。
まずは、その混雑ぶり。人気パビリオンでの混雑は予想していたが、入口でチケットを買うのに長蛇の列、手荷物検査にボディチェックを終えて入場するのに約1時間を要した。さらに、帰着時頃(午後8時前後)には、「リニモ(磁気浮上式の新交通システム)」乗り場で渋滞、また、翌日は、パークアンドライド駐車場(三好)でシャトルバスに乗るのに1時間待ちと、パビリオン以外でも、滞在時間のかなりの部分を「待ち時間」に費やさなければならない。インターネットによるパビリオンの事前予約など、新しい試みも見られるが、全体的な混雑対策には、まだ改善の余地がありそうである。
次に、愛・地球博のテーマは「自然の叡智(えいち)」、環境問題やエネルギー問題など、21世紀の人類が直面するさまざまな問題に対する解決策を世界中の自然から学ぼうとするものである。しかし、全体的な印象では、「目玉商品」である「冷凍マンモス」こそ、地球の自然環境の変化を象徴する“実物”として存在感を放っているが、展示物は、映像やハイテクなど最先端の技術に関するものが多く、万博らしい華やかさはあるが、「自然」を感じさせるものは少ない。
さらに、来場者は、東京ディズニーランドなどと同じように、人気のレジャー施設を楽しむという感覚で来場しているであろうが、その場合の消費者としての基本的な欲求を本音の部分で考えると「光や水などをふんだんに使った迫力ある演出を楽しみたい」「迅速で快適な交通手段でスムーズに移動したい」「おいしいものを食べたい分だけ食べ、いらないものはゴミとして処理して帰りたい」ということになろうか。いずれも環境負荷が大きく、万博のテーマとは相反するものである。また、主催者側も、「自然の叡智」というテーマ性よりも、いかに効率的に多くの観客を観覧させるか、ということを重視している印象を受けた。
したがって、今回の万博開催により、メインテーマである地球環境に関して何らかの「教訓」を残すことができるか、また、来場者が、「自然の叡智」から何かを学び取ることができるか、については、いささか疑問が残る。
以上、批判めいたことばかりを並べてしまったが、愛・地球博が万国博覧会という名に恥じない盛りだくさんの内容であることは間違いない。並び疲れ、待ち疲れ、歩き疲れたが、それなりに楽しめた、というのが実感である。一度、出かけてみることをお薦めしたい。
投稿者:主任研究員 塩野敏晴|投稿日:2005年04月06日|
- 主任研究員 塩野敏晴
- No.0136
「災」転じて、来年は新たなスタートの年に
毎年、年末になると、日本漢字能力検定協会の公募による、その年の世相を象徴する漢字が発表されており、今年は、台風上陸が新記録となるなど、災害が相次いだこともあって「災」に決まった。来年は「災い転じて福となす」との祈りをこめてのものだという。
ちなみに、同協会発表による過去の世相漢字は次の通りである。
95年:震、96年:食、97年:倒、98年:毒、99年:末、00年:金、01年:戦、02年:帰、03年:虎
改めて眺めてみると、過去の世相漢字には、どちらかといえば暗い話題に関するものが多く、しかも今年も話題になったものばかりが目に付く。たとえば、新潟県中越地震による「震」、アテネオリンピックの「金」、イラク情勢やテロ事件の「戦」は今年の応募数上位20位内に入っており、この他にも牛丼店から牛丼が消えるなど「食」の安全性が問題になり、国民的人気の長島茂雄氏が病に「倒」れ、いままで食用とされてきたキノコ(スギヒラタケ)の「毒」性が疑われ、世も「末」と思われるような事故や事件も多発、北朝鮮の拉致被害者家族が「帰」国したものの事件解決にはまだ遠く、去年大フィーバーとなった「虎」だけは今年は大人しかった代わりに「熊」が各地で大暴れした。このように今年は、天災、人災含めて過去の暗い世相を象徴する漢字が勢ぞろいした感があり、追い討ちをかけるように、年末には海外で未曾有の大津波災害のニュースが飛び込んできた。まさに「災」の年であったといえる。
県内に目を向ければ、「災」に関しては、伊豆半島などで台風被害はあったものの、全国各地での大きな被害を考えれば、比較的平穏であったといえるのではなかろうか。ただし、地震に関しては、東海地震が「来るぞ」と言われて久しい静岡県は「明日はわが身」であり、来年以降も継続する懸案事項である。
一方で、明るい話題としては、盛況に終わった浜名湖花博があった。来場者数は当初目標を達成し、来場者の評判も良かったようだ。静岡県は、花き生産上位県である割に、家計支出で見る花の消費が少ないというデータがあるが、今回の花博が県内の園芸振興のきっかけになることが期待される。
来年は、県内では、4月に静岡市が政令指定都市に移行し、7月には12市町村合併により新しい浜松市が誕生する。過去の酉年をみても、新たなスタートとなる明るい話題も多く、「災」の年から一転して、希望の年になることを願いたい。
投稿者:主任研究員 塩野敏晴|投稿日:2004年12月30日|
- 主任研究員 塩野敏晴
- No.0126
「食育」のすすめ
最近「食育」という言葉を目にする機会が多くなってきた。「食育」とは、食物の安全性や選び方、食材の組み合わせ方など、「食」に関する知識を教えるものである。全国各地の自治体や学校が中心となり、各地域で生産される食材を生かし、「地産地消」ともからめて、地域を上げて食育事業を展開する事例もみられる。
先日、取材で訪れた福井県小浜市は、サバや若狭カレイ、アマダイなど、魅力的な食材の生産拠点であるが、「食のまちづくり」を推進し、中でも「食育」に力を入れていた。たとえば、幼児(親子)対象の調理教室を開催し、(炊飯器のスイッチを入れるのではなく)火を使ってかまどでご飯を炊く、(粉末スープにお湯を注ぐのではなく)昆布や煮干しでだしを取る、(パックの切り身を使うのではなく)包丁を使って生きた魚をさばく、といった実習を行っている。地場産の食材を用いて「本来の作り方」に沿い、「本物の味」を覚えるだけでなく、魚の血に触れることで、食べ物が「生き物」であることを実感し、食べ物への感謝の気持ちや大切にする心を育む、といったように単なる「食」への関心や知識にとどまらず、子どもの情操教育にも役立っているようだ。さらに、農業の体験実習など、「食」を通じて、健康、環境、産業、勤労など、幅広い分野での理解、啓発が期待されている。
本来、「食物連鎖」という言葉があるように、「食」は生物にとって最も本質的な行動であり、人間以外の生き物は、食の安全性や栄養効率などは「死活問題」として、本能的に適正な行動を取るようになっている(そうでないものは生き残れない)。しかし、人間の場合は、「経済」「文化」「娯楽」など、「食」以外に目を向けるべき対象も多く、医療技術のサポートもあって、「食」に関して各個人が必ずしも適正な行動を取っているとはいえない。とくに最近は、コンビニエンスストアやファーストフード店、栄養補助食品の普及など、「食」の選択肢は広がる一方で、BSE問題や食物アレルギーなどの要注意事項も発生している。食事の自己管理能力を養うことは、生物としての生存能力を養うことにもつながる、といっても過言ではないだろう。
そうした本質論を持ち出すまでもなく、「うまいものを食いたい」というのは、人間にとって最も基本的な欲求でもある。各地の伝統的な食材、特産品などがクローズアップされれば、いわゆる「グルメ」の視点からも楽しみが増すこととなる。今後の食育事業の展開に期待したい。
投稿者:主任研究員 塩野敏晴|投稿日:2004年10月01日|
- 主任研究員 塩野敏晴
- No.0112
“花は浜名湖”花ざかり-浜名湖花博出足好調
現在、浜松市の浜名湖畔で「浜名湖花博」が開催中である。会場内には色とりどりの花が咲き競い、連日多数の入場者で賑わっている。前売り入場券の売れ行きが懸念されていたが、入場者数は、当初の予想を上回るペースで200万人を突破と、好調に推移している。当所発行の「SERIまんすりー」のシリーズ企画「集客の秘訣」でも、「花」を集客の柱の一つとする施設をいくつか紹介してきたが、やはり「花」は、リピート性のある集客資源であるといえそうだ。
花の魅力は何か、いくつかのキーワードで整理してみた。
「美」:単純に見栄えがよいだけでなく、目や心にも優しい「癒し」効果がある。
「季節性」:桜に代表されるように、季節限定で花を咲かせ、「風物詩」として日本人の生活に密着し、毎年多くの花見客を引き付ける力を持つ。
「個性」:昨年「世界に一つだけの花」という曲が大ヒットし、歌詞の内容が共感を呼んだが、花は、同じ品種でもそれぞれ、色合いなどに個性があり、さらに、同じ株でも年によって“咲きっぷり”が異なるなど、飽きさせない。
「生」:花が「生きもの」である事で、育てる楽しみや、逆境に耐えながらつつましやかに咲く高山植物のような「健気さ」、盛大に咲いてパッと散る桜のような「潔さ」といった擬人化による共感を持たれやすいことも魅力の一つであろう。
一方、主催者側からみれば、集客力が最大の魅力であり、興味でもあるわけで、さらには、来場客によってもたらされる経済効果や観光振興効果に大きな期待が集まる。実際に、浜名湖花博開幕後、舘山寺温泉など、周辺観光地では来客数が増加しており、こうした効果が伴えば、まさに「花も実もある」イベントだったということができる。
しかし、こうした経済面だけでなく、文化的な側面にも注目したい。静岡県は、「花より団子」というべきか、花き生産上位県である割に、家計支出に見る花の消費が少ないというデータがある。花博をきっかけに、家庭で園芸活動を行うという気運が高まれば、家庭内の雰囲気も「枯れ木に花」で、花の話に花が咲き、経済効果などという無粋な話は「言わぬが花」となるかもしれない。
投稿者:主任研究員 塩野敏晴|投稿日:2004年06月16日|
- 主任研究員 塩野敏晴
- No.0099
「大江山の鬼伝説」現代によみがえる
先日、京都府大江町の「日本の鬼の交流博物館」を取材した。この博物館は、「大江山の鬼伝説」をテーマとして、全国各地や世界の鬼伝説、鬼の面や絵巻、鬼瓦などを展示していて興味深い。
大江山の鬼伝説とは、かつて丹後の山奥に酒呑童子という鬼が棲みつき、悪行を働いていたため、都の武士、源頼光らによって討ち果たされた、というものである。
こうした鬼伝説は、日本全国に似たようなものが伝承されている。その姿は、赤ら顔に角を生やしたオーソドックスなものから、牛や猪の化けた妖怪変化の類まで、さまざまであるが、共通しているのは、人間離れした能力と恐ろしさ、ただ、その所業は人間的でもあり、鬼とはいえ、実在した人物がモデルになったと思われるものも多い。
酒呑童子の場合、伝説では、生まれは越後、山寺で修業を積んだ後、諸国の山々を巡り歩いていたという。こうした修験者くずれのならず者が、大江山を根城として山賊働きをして「鬼」として恐れられた、というのが一説である。
一方で、各地で修業を重ねた酒呑童子は優れた採鉱技術を持ち、大江山に鉱山を開発して山里の暮らしを豊かにし、中央の権力からは隔絶された理想郷にしようと、いわば「まちづくり」に精力的に取組んでいたとする説もある。こうした動きは、当時の権力者からみれば、自らの権威を脅かす危険分子であり、討伐の対象となりうる。そして、討伐者が自らの手柄を強調するために、また、権力者が自らの行為を正当化するために、討伐した対象者を「鬼」に仕立て上げたものかもしれない。だとすれば、「鬼」とはむしろ討伐した側の人間であるといえる。
日本各地に伝わる「鬼伝説」も、欲にかられた不正、肉親や先祖に対する不敬、動物に対する無益な殺生、といった人間の心のうちに潜む「悪」を妖怪変化の恐ろしい姿にかぶせて忌み嫌い、戒めたものではないだろうか。
現代の世の中は、人間世界の中にもさまざまな「鬼」がいる。博物館に並ぶ「鬼」の面を見ていると、鬼の顔の中に潜む人間性や、人間の心の中に潜む「鬼」の姿まで、見えてくるようにも感じられる。
「日本の鬼の交流博物館」は、「鬼」が開発したとの伝説もある鉱山跡地に立地しており、まさに伝説が現代によみがえったものといえる。交通アクセスは、北近畿タンゴ鉄道大江駅から車で15分、日本三景の一つである天橋立からも車で30分足らずの距離にある。詳しくは当所SERIまんすりー4月号にて掲載予定であるので参照されたい。
投稿者:主任研究員 塩野敏晴|投稿日:2004年03月15日|
- 主任研究員 塩野敏晴
- No.0086
情けは人のためならず
「情けは人のためならず」ということわざがある。「甘やかすのはよくない」とする誤用例がよく引き合いに出されるが、本来は「人に親切にしてあげれば、それが巡り巡っていつか自分に返ってくる」という意味である。このことわざの適用例として思い出すのが車の運転マナーである。トンネルを出た後のライトの消し忘れを対向車両にパッシングで教えられたり、右折時に対向車に先を譲ってもらったり。こうした通りすがりの親切は、本来、何の見返りもない。せいぜいクラクションや挙手での謝意を表される程度のものだが、一瞬のタイミングでその機会すら逸することも多い。しかし、受けた親切は、同じような場面に出くわしたときに、自分も他人に返してあげたくなる。それがマナーとして地域社会全体に浸透していけば、いつかは自分にも返ってくる。それこそ「情けは人のためならず」ということができるだろう。
ところで、当所が行ったアンケート調査では、静岡県民は「気性が温和で保守的である」一方で、運転などの公共マナーは悪いという印象をもたれていることがわかった。「温和で親切」な反面、ハンドルを握れば、他人のために気を利かしてあげることが苦手のようだ。街中でも、周囲への配慮を欠いた運転を目にすることが多い。たとえば、信号のない小さな交差点で交通量の多い街路を横断(直進)するために通行車両が途切れるのを待っているときに、信号待ちの車が進路をふさいで停車してしまう。横断歩道で歩行者のために一旦停止をする車を見ることは皆無に近い(いずれもマナー以前に道路交通法違反である)。自己中心的な運転が事故につながるケースもあろう。人口当たりの交通事故件数が、静岡県は全国3位(平成13年)と、相変わらず多いという事実がこれを物語っている。
静岡県民は、もともと「温和でのんびり」した県民性である。これを運転席まで持ち込んで、とくに交通マナーこそ「情けは人のためならず」の精神で、周囲に対する気配りを心掛けるようにしたい。そうした些細な行動の積み重ねが、将来、自分や家族を交通事故から守ってくれるというのは考えすぎだろうか。
投稿者:主任研究員 塩野敏晴|投稿日:2003年11月26日|
- 主任研究員 塩野敏晴
- No.0073
北海道の観光事情-格安ツアーと地域経済
先日、休暇を利用して北海道を車で旅行した。ここ数年、夏休みには毎年のように訪れているが、この時期に北海道各地で必ず見かけるのがツアー客である。主な観光スポットには何台もの観光バスが入れ替わり立ち替りでやってきて、中高年者を中心とするツアー参加客が、列をなして観光コースを見物していく。観光が北海道経済にとって大きな柱であることを実感する光景である。
こうしたツアー客の観光拠点となる都市のひとつに本土最北端の稚内市がある。稚内市は空港もあり、近くには利尻、礼文、サロベツ原野といった人気の観光地を控え、数年前より航空会社系列のホテルも開業し、最近はとくにツアー客が増えているように思う。
ある年の夏、稚内に到着したものの、どのホテル・旅館も満室と断られ、やむなく車中泊をすることになった時のこと、夕食に入った路地裏の赤提灯の店主との話の中で、「最近はツアー客が増えて、街が賑わっていいでしょう」と言うと、店主は苦笑しながら「ツアー客というのは、立ち寄るところは決まっていて、私らのような店にはまず来ません。ツアー客が増えた分、個人の旅行者が泊りにくくなって、かえってお客さんが減ったという店も多いんですよ」。泊りそびれた私と「共通の被害者」として思わぬところで話が盛り上がった記憶がある。
また、ちょうどその店に居合わせた、なじみ客らしい若者の話によると、東京から旅行会社のパックツアーに乗って里帰りし、荷物だけホテルに置いて実家に泊るのだという。単独で航空券を買うよりも、その方がホテル代込みでも安いそうだ。
こうした格安ツアーによる観光客の支出の増加が地域経済にとって大きな期待であることは想像に難くない。しかし、経済効果という観点でいえば、低価格ということは、余分な出費は抑えるということである。しかも、対象が特定の施設や業者に限られるとすれば、観光客が増えても、地域全体としてみれば「もろ手を上げて歓迎」というわけにはいかない事情もあるようだ。
投稿者:主任研究員 塩野敏晴|投稿日:2003年08月21日|
- 主任研究員 塩野敏晴
- No.0059
政令指定都市化に伴う変化は「拡大」というよりも「区分」
平成15年4月1日、旧静岡市と旧清水市は合併し、新しい「静岡市」が誕生した。2年後の政令指定都市への移行に向けて、静岡市行政区画等審議会も開催され、旧静岡市域を南北2区、旧清水市域を1区とする3区案で大筋合意した模様である。
先日、合併および政令指定都市化では「先輩格」のさいたま市を訪ねた。さいたま市の場合は、旧浦和市と旧大宮市が4区ずつ、旧与野市を1区とする9区に区分された。区名の選定に際しては、まず自由回答で区名案を募り、次に上位3案を含む6案の中から区名を選択してもらうという2段階方式で市民の意見を吸い上げたようだが、市民からの投票結果をみると、いずれの区も旧市名を用いた区名が1位になるなど、地名に対する捨て難い愛着がうかがわれる。結局さいたま市では、「『旧市名+方角』の区名を使わない」「区全体の合意が得にくい特定地域の名称は除外」「簡素さということから、名称は区を入れて3文字以内」という方針が打ち出され、旧市名を用いたものは「大宮区」「浦和区」だけ、また旧市名以外で唯一地名を用いた「見沼区」に関しては、「『沼』という語感が悪い」「区域と地名とが合致していない」といった反発も多かったようである。
合併により新しい都市づくりを進める行政側からすれば、「旧市名にこだわるべきではない」という考えが先立つが、住民にとっては、自分の属する地域名や住所がどうなるかは、最大の関心事であり、最もこだわりたい事象であろう。
さいたま市では、今後、市民の行政サービスがそれぞれの区役所で行われるようになるだけではなく、イベントなどによる地域振興においても、全市的なものよりも区単位での開催が主体になるとのことである。合併といえば「規模の拡大」に専ら注目が集まりがちであるが、政令指定都市化に関しては、むしろ「区分されること」に大きな意義があるといえそうである。市民の帰属意識も従来の「市」から「区」へと次第に変わっていくであろう。区名はその象徴となる。
静岡市では、今回の合併により、旧清水市は市名を失い、住所表示も変更になった。一方、旧静岡市の住民にとっては、現状では「何も変わっていない」というのが実感であろう。しかし、政令指定都市移行後は、単独1区になりそうな旧清水市よりも、2区以上に区分されることが確実な旧静岡市側に「変化」の実感が湧いてくることになりそうである。
投稿者:主任研究員 塩野敏晴|投稿日:2003年05月14日|
- 主任研究員 塩野敏晴
- No.0046
新「静岡市」の潜在力
平成15年4月1日、静岡市と清水市の合併により、新しい「静岡市」が誕生する。さらに、2年後には政令指定都市への移行も視野に入れている。合併後の「静岡市」が、他の政令指定都市に比べてどの程度の規模に位置付けられるのか、統計的な観点から検証してみた。
まず、新「静岡市」の人口は、平成12年の国勢調査によれば71万人。政令指定都市で最も少ないのは千葉市で89万人、その他はいずれも100万人を超える。合併後の都市基盤整備により、人口規模の拡大も期待されるが、国勢調査による人口総数は、新「静岡市」では前回の平成7年をピークに、減少傾向に転じているのが懸念材料である。
産業面でいえば、新「静岡市」の製造品出荷額は、札幌市、千葉市、仙台市、福岡市を上回り、全国有数の規模となる。また、農業粗生産額では、他のいずれの政令指定都市も上回る。事業所や就業者の業種別構成をみると、もともと商業・サービス業の集積の厚かった静岡市と製造業の集積の厚い清水市との合併により、全国平均に近くなり、他の政令指定都市と比較してもバランスのとれた産業構成となる。
一方、合併後の面積は、1,374k?。いずれの政令指定都市も上回り、福島県いわき市を抜いて全国一の広さを持つ市となる。ただし、市域の77%は森林であり、宅地面積は総面積の5%に過ぎず、浜松市とほぼ同じ規模である。
広大な市域に点在する観光資源や豊富な森林・農産資源、山、川、海と豊かな自然、恵まれた気象条件、特定重要港湾である清水港、清水エスパルスに象徴されるスポーツ(サッカー)振興の蓄積、さらに、将来的に、第二東名と中部横断自動車道が整備されれば、市内に5つのインターチェンジを有し、東西方向だけでなく、北日本方面とも結ぶ交通の要衝となる。
このように、新「静岡市」は、人口規模に若干の懸念材料はあるものの、他の政令指定都市と比較しても遜色ない潜在力を有している。今後は、多様な産業集積を生かした経済的な発展と広域的な拠点性の向上、さらにその結果としての人口の増加が望まれるが、そのためには、対外的な交流人口の増加による地域活性化に加えて、広大な市域を生かした、居住環境の整備や中山間地の活性化にも期待したい。
投稿者:主任研究員 塩野敏晴|投稿日:2003年02月13日|
- 主任研究員 塩野敏晴
- No.0033
統計に見る静岡県の「地産地消」
家計調査という統計がある。全国の世帯を対象に家計収支の調査を行うもので、地域別(全都道府県庁所在都市および政令指定都市)の消費特性をみることができる。この統計から、静岡市の消費特性を読み取ってみた。
まず、静岡市は「米」の支出額が全国トップである(平成11?13年平均、以下同じ)。県内には、お茶、まぐろ、うなぎ、桜えびなど、和食に合う特産品も多いが、とくに米どころというわけでもなく、静岡市の消費特性の一つといえる。
また、「緑茶」「みかん」「まぐろ」などは「地産地消」を実践しており、「緑茶」は、静岡市の支出額は2位以下を大きく引き離してダントツのトップ。一方で「紅茶」「コーヒー・ココア」は下位である。生産量全国トップ(静岡県)の「みかん」は支出額でもトップ、対照的に「りんご」の支出額は最下位である。興味深いのは、「みかん」の支出額の2位以下の上位には甲府市、宇都宮市、富山市、仙台市など非産地の都市が目に付き、逆に下位には、佐賀市など、産地であるはずの西日本の各都市が並んでいる。一方の「りんご」の方は、支出額の上位には産地が並ぶ。「みかん」自体に「地産地消」の傾向が弱い中で、静岡市は例外といえる。
予想外なのは、「トイレットペーパー」であり、静岡県の「衛生用紙(工業統計)」の生産シェアトップ(もっとも、厳密に言えば産地は富士市であるが)に対して、静岡市の支出額はなんと最下位である。産地近隣のメリットとして価格が安いということも一因としてあろうが、支出額上位に仙台市、札幌市など寒い地域の都市が並び、逆に下位には温暖な都市が多いことから、尾篭な話ながら“生理的要因”も左右している可能性がある。
「トイレットペーパー」のような品目は、消費促進という考え方自体が成り立ちにくいかも知れないが、この他にも、切り花(静岡県の花きの生産全国3位に対して、静岡市の支出額は下位から3番目)、メロン(静岡県の温室メロンの生産全国トップに対して、静岡市の支出額は下位から4番目)などは地元の消費促進が期待される品目である。
なお、当所では創立40周年記念事業の一環として、上記のような統計データ・トピックスを掲載した「統計指標ハンドブック」を「SERIまんすりー」の付録として近々刊行する予定である。手近なポケット情報として活用していただければ幸いである。
投稿者:主任研究員 塩野敏晴|投稿日:2002年10月31日|
- 主任研究員 塩野敏晴
- No.0020
ETC-普及とメリットのジレンマ
高速道路のETC(ノンストップ自動料金支払システム)サービスが開始されてからすでに1年以上が経過した。ETCとは、料金所と車両に搭載した車載器との無線通信により、走行したままで通行料金を決済するシステムであり、省力化と渋滞解消の期待を込めて、国土交通省で普及を進めているものである。しかし県内では、ETC専用ゲートを通過していく車両を見ることはまだ少ない。
普及が進まない理由としては、コスト面の問題がある。まず、ETCを利用するためには、専用の車載器を取り付けなければならないが、これに3?5万円程度かかる。さらに、通行料金設定も従来と同じであり、前払いによる割引制度もハイウェイカードと同じ割引率では、アピール効果は低いようだ。
コスト面でメリットがないとすれば、ETC利用によるメリットは、手間と時間の節約と、料金所の順番待ちの列を横目に見ながら優先的にゲートを通り抜ける優越感だけ、ということになるが、これも静岡県あたりの混雑状況では、大きな動機付けにはならないのであろう。
それでは、交通量のはるかに多い首都圏ではどうか。確かに料金所の渋滞は恒常化しているが、ゲート数が少ない料金所では、利用車両の少ない現状でETC専用ゲートを設けてしまうと、渋滞をさらに助長するという問題がある。したがって、ETC/一般車共用ゲートとせざるをえず、ETC利用車も一般車に混じって順番待ちを強いられ、これがETC利用に二の足を踏む要因になっているのではなかろうか。渋滞解消の切り札として期待されながら、渋滞解消しなければ利用者のメリットが制限され、普及が進まないというジレンマがある。さらに、利用者には、ETC車両の方が多くなるほど普及が進めば、「優先的通行」の優越感が薄れてしまう、というジレンマもある。
とはいえ、ETC利用者の評判はおおむね良いようで「快適である」「一度慣れてしまったらもうやめられない」といった声が聞こえてくる。結局ETC普及は、一時停止、窓の開閉、通行券と料金の授受といった一連の動作を省略できる利便性を利用者がどう評価するか、にかかっているのが現状といえる。
渋滞解消が見込まれ、さらに道路管理コストの削減や環境改善にも効果があることから、今後、定着化していくことが期待されるが、ある程度普及率が上がらなければうまく機能しないということであれば、ハイウェイカードを上回る割引料金の設定など、思い切った普及策も必要なのではないだろうか。
投稿者:主任研究員 塩野敏晴|投稿日:2002年07月26日|
- 主任研究員 塩野敏晴
- No.0006
高速道路の渋滞と「見えざるコスト」
大型連休を控え、レジャーや帰省などの計画に心躍らせながらも、民族大移動に伴う高速道路の渋滞情報にはうんざりという経験を持つ人も多いだろう。大型連休に限らず、東名高速や首都高速などは、渋滞が恒常化している感もある。
当所では昨年度、静岡県内の高速道路に関するアンケート調査を行った。その結果、交通混雑により東名高速道路が「遅れることがある」とする人が東名高速利用者の6割以上に上ることが分かった。本来、高速性、定時性に優れているはずの高速道路だが、東名高速に関しては「交通量が増加=遅れる」という認識が浸透しているようである。実際に、東名の年間の渋滞発生回数は平成12年の場合で約4,400回、事故等による通行止めは同40回にも及ぶ。
また、東海大地震が将来予測されている中で、由比町内では海岸部に主要交通機関が集中し「迂回路がない」ことの不安も大きい。国土の大動脈が寸断されれば経済的な影響は計り知れない。アンケートでも、仮に東海道が寸断された場合に「会社の業績に重大な影響を及ぼす」とする企業が5割を超えていた。
さらに、こうした渋滞や事故通行止めなど、目に見える弊害以外にも、「見えざるコスト」も存在している。たとえば、運輸業者では、渋滞による遅れ等を見込んで、かなり早目に出発して途中で時間調整をしているという。われわれの日常生活でも、たとえば飛行機で旅行に出かける際に、空港まで車で行くとすれば、かなりの余裕時間を見込むことになる。「遅れること」は企業活動や日常生活の中に前提条件として折り込まれ、潜在的なタイムロス=コストとして存在する。当然、われわれが購入する消費財の価格にも幾分かは反映されているだろう。それは、高速道路利用者だけでなく、国民すべてにかかるコストでもある。
東名高速は、日本の社会・経済を支える大動脈だが、増加しつづける交通量により「動脈硬化」状態に陥りつつある。
第二東名についても、費用対効果といえば、建設費や通行料金による収支にばかり目を向けがちであるが、通行止め時に想定される潜在的なリスクや「遅れること」を前提とする「見えざるコスト」も合わせて考慮する必要がある。
投稿者:主任研究員 塩野敏晴|投稿日:2002年04月26日|
- 企画部長 岸本高昌
- 研究員 海野覚
- 研究員 後藤淳一
- 研究員 高橋晴美
- 研究員 勝見政律
- 研究員 植松紘史
- 研究員 青嶋一浩
- 研究員 大石彰男
- 研究員 田原 真一
- 研究員 齋藤衛
- 研究員 増田知臣
- 研究部長 大石人士
- 研究部副部長 望月毅
- 主任研究員 塩野敏晴
- 主任研究員 玉置実
- 主任研究員 川島康明
- 主任研究員 大石真裕
- 主任研究員 長村敏孝
- 主任研究員 冨田洋一
- 常務理事 高橋節郎
- 専務理事 中嶋壽志
- 調査部長 鈴木宏和
- 特任部長 内野孝宏
- 期待の次世代エネルギー社会システム スマートコミュニティ
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